壬生の花田植開催のご案内
開  催  日 6月第1日曜日
開催場所広島県山県郡北広島町壬生
 


花田植の誕生
中国地方一帯では太鼓をたたき笛を鳴らして田植唄を歌いながら大勢で田植をする民俗行事が残されており、「はやし田」、「田ばやし」などと呼ばれ、その歴史は中世にさかのぼるといわれます。
田植作業を行いながら、そのまま稲作の平穏と豊穣を祈って「田の神」を祭る稲作儀礼であり、同時に苦しい田植え作業に従事する者の慰安や、当時の農村における数少ない娯楽としての要素を持つ一大行事でした。
土地の大地主の中には所有地の田植の植え終わりに、たくさんの人々を集めて、盛大に囃し田を行う者があり、当時から壬生の囃し田として近郷各地に知られる一大催事でした。この囃し田に参加する牛には豪華な花鞍を更に造花で飾り、太鼓や笛の音にあわせて、着飾った早乙女達が苗を植える。この様子があまりにも華やかであるところから花田植と呼ぶようになったと云われています。

地域一体での保存活動
時代の波に押され、一時期行われない時もありましたが、農村における稲作文化の原点ともいえるこの催しを、永く後世に伝えてゆこうとする活動に発展し、川東田楽団、壬生田楽団を中心に当時の人々や町の商家の組織が主体となって毎年行うようになり壬生の花田植として今日に及んでいます。
昭和三十年代までは芸北地方一帯から数十頭の飾り牛が集まり、囃子方(大太鼓)や早乙女など二百人をこえる規模で、行われていたと云われます。
地域で取り組んできた保存活動と牛を使った代掻き作業や、早乙女の手による田植えなど機械化前の農耕文化の一端を現在に伝えるその内容、その催しの規模などが評価され2011年(平成23年)11月27日ユネスコの無形文化遺産登録となりました。

これまでの歴史
 昭和34年10月30日
  川東の囃し田が広島県の無形民俗文化財に指定を受ける
 昭和50年4月8日
  壬生の囃し田が広島県の無形民俗文化財に指定を受ける
 昭和51年5月4日
  壬生の花田植が国の重要無形民俗文化財に指定を受ける
 平成23年11月27日
  壬生の花田植が世界無形文化遺産に登録される



煤竹を割って作った陰陽のササラを持って音頭をとる「サンバイ」が指揮し、大太鼓や小太鼓、笛や手打鉦で囃し、菅笠、かすりの着物にたすき掛けの早乙女が田植歌を歌いながら早苗を植えていきます。
飾り牛
花田植における主役は早乙女と囃し方であるが、もう一つの主役飾り牛の存在はこの催しを支える重要な要素です。
使われるのは、この日のために調教を重ね、農耕牛として活躍した時代と同じ「手綱」での誘導が教え込まれた黒毛の牛であり、金色の鞍や造花で華やかに飾られることから飾り牛と呼ばれます。
昔は二十頭を超える牛が参加していたというが、近年では北広島町内各地や安芸高田市など周辺市町から12~13頭が出演しています。
牛はトラックに載せられて壬生神社境内に集合。赤・青・緑・黄の布を掛け兜や龍を象った金襴豪華な花鞍を装着され、首玉と呼ばれる赤い布袋に綿を入れた飾りをつけて出番を待ち、商店街を道行き(行列)して会場に向かいます。
十頭を越える飾り牛の行列は壮観であり、本番前の見せ場の一つとあって沿道には多くの見物人が繰り出します。
先頭の牛を主牛(おもうじ)と言い、この役を務めることは大変名誉なこととされています。ひと昔前までは屈強な雄牛がこの役をが務めることになっていたが、最近は体格の良い雌牛がこの役を務めます。
 
 

サンバイ
田植えの総指揮をとる人を三拝(サンバイ)と呼び、田の神様とも言われる役柄です。
サンバイさんは、絣の着物に袴姿で菅笠をかむり、ササラと呼ばれる打楽器(三拝竹:編木)を打ち鳴らしながら朝歌、昼歌、しまい歌など数百もあると言われる田植え唄を歌って、花田植の指揮をとります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 

囃し方
囃し方は、大太鼓・小太鼓・手打鉦と篠笛で構成し、ササラを持つサンバイの指揮にあわせて賑やかに打ち鳴らします。
大太鼓を腰にして拍子に合わせて体を大きくくねらせながら一斉に打ち鳴らす音は迫力があり、時折桴(バチ)を投げ上げて隣に受け渡す技は壮観です。
 
   
 
 
 
 
 

早乙女
早乙女は、苗代で育った苗を取り、田植えをする女性のことを言い、サンバイの音頭に合わせて田植唄を歌いながら田圃に早苗を植える花田植における主役の一つです。
絣(かすり)の着物にたすき掛け、豆絞りの手ぬぐいに菅笠を被るあでやかな出で立ちは、飾り牛とともに華やかな田園絵巻を演出します。
手には手甲(てっこう)、足には脚絆(きゃはん)をつけて田圃に入ります。